皐月賞
横浜農林省賞典四歳呼馬(のちの皐月賞)に出走。
同期の最高額馬ミナミモアを抑えて1番人気に推されると、
レースでは同馬に3馬身差を付けて優勝を果たした。
本競走は翌年に弟のアルバイトが優勝して兄弟による連覇を達成、
1949年にはトサミドリも優勝し、
史上唯一の記録である三兄弟による
同一クラシック競走制覇を達成している。
東京優駿
東京優駿競走は、前夜までの降雨の影響によって重馬場となった。
セントライトは横浜で破ったミナミモアに1番人気を譲って2番人気であった。
レースでは道中3番手を進むと、
最終コーナーで小西が手綱を抑えたまま先頭に立った。
さらに残り200メートル付近からスパートを掛けると、
後続を一気に突き離し、2着ステーツに8馬身差を付けて圧勝した。
これは1955年の優勝馬オートキツに並び、ダービー史上最大着差となっている。
菊花賞
京都農林省賞典四歳呼馬(のちの菊花賞)では、
セントライトの他は、地元の2頭と関東から遠征した
ミナミモア、ステーツ、阪神優駿牝馬優勝馬テツバンザイのみの
計6頭と少頭数で、セントライトは1番人気に推された。
レースでは2番手の先行策から、
ゴールではミナミモアに2馬身半差を付けて優勝。
1939年に三冠全競走が整備されて以来、
4年目にして初のクラシック三冠を達成した。